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富山地方裁判所 平成10年(わ)93号 判決

主文

被告人両名をそれぞれ懲役五年に処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中三六〇日を、それぞれその刑に算入する。

被告人両名から、押収してあるステンレス洋包丁一丁(平成一〇年押第一一号の1)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人らは、いずれも、富山県魚津市友道〈番地略〉において自転車販売業を営んでいた甲野太郎(以下「太郎」という。)、甲野花子(以下「花子」という。)夫妻の子であり、被告人A(以下「被告人A」という。)が長男、同B(以下「被告人B」という。)が二男である。

太郎は、昭和四一年ころから意味の分からないことを口走るなど異常な言動があり、被告人らが幼少のころから、飲酒した際などに、怒鳴り散らしたり、物を投げつけ、花子に対し暴力を振るうことも多かった。そして、昭和四八年ころには自宅でストーブを倒して火事を起こしたことをきっかけに精神病院に入院し、精神分裂病と診断された。その後も何度か入退院を繰り返す一方、投薬治療などを受け続けていたが、季節の変わり目などには言動が不安定となるなどの症状が現れることがあったほか、飲酒した際には前記のように暴力を振るったり、花子の実家に「火をつけるぞ」などと電話することもしばしばあり、花子が近隣や親族宅に逃げ込んだり、警察に通報するなどして騒ぎを収めたこともあった。被告人らは、太郎の病状については詳しく知らされておらず、このような家庭の状態を見て成長し、父の暴力に耐える花子をかわいそうに思う一方で、太郎を憎み反発するようになった。そして、被告人Aは昭和六一年に結婚し、被告人Bは昭和六三年に高校卒業後すぐに上京したため、別居して生活するようになった。また、平成四年には、花子が太郎の粗暴な言動に耐えかねて、いったん離婚したことがあったが、太郎が断酒することを誓約したため間もなく復縁し、その後は太郎が酔って暴れることがなくなった。

花子は、平成一〇年六月四日、バイクを運転中に高血圧症などによりくも膜下出血を起こして転倒し、病院に運ばれたが、同月六日に死亡し、翌七日に通夜、八日に葬儀が営まれた。太郎は、花子の入院中に、同人が危篤状態であるにもかかわらず、病院内でほかの患者などと大声で談笑したりすることがあった。また、通夜の直前にも、花子が生前洋服の寸法直しを依頼していた件でリフォームショップに乗り込んで行って文句を言い、被告人らが呼びに行っても従おうとせず、親類が数人で連れ戻したこともあった。さらに、通夜の後も、親類に対して葬儀に来なくていいと言ったり、被告人らに対しても態度が気に入らないとして「親でも子でもない。葬式も来るな」などと怒鳴り散らし、被告人Bが土下座するなどしてその場を収めたことがあった。また、葬儀の際には、喪主としての挨拶中に同じことを繰り返して話したり、葬儀後にも花子のことを悪く言うなどしたり、被告人Bに対して、花子が生命保険に入っているかもしれない、被告人Aには内緒で山分けしようなどと笑いながら話しかけたこともあった。このように、花子の入院ないし死後、太郎の奇異な言動が目立って多くなった。被告人らは、花子の葬儀を何とか無事に終えたいと考え、太郎に対して低姿勢をとり続けていたものの、花子が生前太郎の暴力に耐える一方であったことを思い起こし、花子の死亡の原因は太郎が苦労をかけさせたことにあると感じた上、太郎の言動に対して我慢できないとして「いつ切れるか分からん」「あいつに殺意あるわ」「俺もどうなるか分からん」などと二人で話し合ったことがあった。

他方で、被告人らは、これまでの太郎の言動から同人と同居することは難しいと考えており、今後は一人で生活していってもらいたいと考え、花子の葬儀が行われた後もしばらく太郎方に残って、同人が自立して生活していけるかどうか様子をみようと考えていた。

そして、葬儀の翌日である六月九日午後九時過ぎころ、被告人Bと太郎が来客を見送った後、太郎方の一階台所兼居間に被告人両名と太郎の三人がそろった。被告人Bは、この機会に、今後は太郎が一人で家事をし生活していかなければならない旨を伝えようとして、居間の籐椅子に座っていた太郎に対し、「今は俺たちが何でもやっているが、いずれは一人でやらなあかん」などと切り出した。太郎は、当初は、うなずきながら聞いていたが、被告人Bから、これまで太郎が何事も花子任せで、当日も洗濯を花子の母にさせたことなどを指摘すると、「何でも自分でやった」「俺のことだらにしとるがか」などと反論して被告人Bとの間で口論となった。

被告人Bは、太郎が大声で怒鳴り始めたことから、近所に迷惑をかけないため隣接する風呂場の窓を閉めてくれるように被告人Aに頼み、同被告人が風呂場へ窓を閉めに行った。そして、被告人Bが、太郎に対し、明日から自分で食事の用意をするように言ったところ、太郎は「何様のつもりじゃ」などと言いながら立ち上がった。被告人Bも立ち上がって、脅すつもりで殴る構えをしたが、太郎は「何じゃい、殴るか」と言い、ひるむ様子がなかった。そこで、被告人Bは、太郎の顔面をめがけて一発殴りかかったが、当たらなかった。それと同時に、太郎が被告人Bの腕のあたりにつかみかかってきたため、被告人Bは太郎の左頬あたりを殴り、両者はもみ合いとなった。被告人Aは、そのころ居間に戻ったが、被告人Bと太郎が取っ組み合いのけんかになっていることに驚き、太郎を押さえてけんかをやめさせようと考え、後方から太郎の襟首や腰のあたりをつかんだり、腕を押さえたため、三者がもみ合うこととなった。そのうち、被告人Bが、太郎の右後ろに回り込んで、左腕を同人の首のあたりに巻き付け、太郎の上半身を後ろから抱え込むような体勢となり、被告人Aと一緒になって太郎を同室の風呂場側の壁に押しつけた。

太郎は、大声で近隣に助けを求める一方で「本当にやるんやな」などと言いながら、壁際に置いてあった醤油入りの一升瓶を両手で一本ずつ握って応戦する構えを見せたため、被告人Bが右手で太郎の右手首をつかんで押さえた。太郎が「本当にやるがか」とすごんだため、被告人Bが「おお、やってやる」と言い返したところ、太郎は、右手に持った一升瓶を壁にぶつけて割り、長さ約一一・四センチメートルの注ぎ口部分の破片(平成一〇年押第一一号の2)を右手に持ったまま、肩越しに持ち上げるようにして、後方にいる被告人Bの顔付近をめがけて四、五回突き出してきた。被告人Bは、顔をそむけるなどして避けようとしたが、右破片が同被告人の右目外側付近に当たり切り傷を負ったほか、右耳の後ろ側にも右破片をねじ込むように強く押し当てられて切り傷を負った。

そのうち、太郎と被告人Bは、重なり合いながら床に倒れ込み、太郎がうつ伏せとなり、被告人Bが太郎の首付近を左腕で抱えて上半身に覆いかぶさるようにして押さえつけ、その右横に座り込む格好となった。太郎は、右手に持ったままの右破片を、ちょうど手の届く範囲にあった被告人Bの左膝付近にねじ込むように突いてきた。被告人Bは、太郎が使っていた籐椅子が見えたので、そばに立っていた被告人Aに対し、「椅子で打て」と叫んだ。これを受けて、被告人Aは、籐椅子を十回くらい振り下ろし、太郎の腰のあたりを殴打した。しかし、太郎は、なおも右破片を被告人Bの左膝付近に押しつけ続けた。

(罪となるべき事実)

被告人両名は、平成一〇年六月九日午後九時過ぎころ、富山県魚津市友道〈番地略〉所在の甲野太郎(当時六二歳)方において、太郎がなおも一升瓶の破片を被告人Bの左膝付近に押しつけ続けたことから、太郎に対し憤激の念を抱くとともに、被告人Bの身体を守るため太郎に更に反撃しようとし、被告人Bが前記のように太郎の首付近を抱え込んで上半身を押さえつけたまま、被告人Aに対し「台所に包丁があるから刺せ」と指示したことから、意思を通じて、太郎が死亡するかもしれないと認識しながら、被告人Aが台所に置いてあったステンレス洋包丁(平成一〇年押第一一号の1)を持ち出して、太郎の左側胸部、左側腹部及び右背面などを連続して十数回突き刺し、さらに、その直後、被告人Aから包丁を受け取った被告人Bが、ほとんど動かなくなった太郎の左側頚部を右包丁で一回突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を右各刺創に基づく失血のため死亡させた。被告人らの右行為は、太郎による急迫不正の侵害に対して被告人Bの身体を防衛するためにしたもので、防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人らの主張に対する判断)

一  殺意の発生及び共謀の時点について

1  弁護人らは、被告人らが従来から太郎に憎しみを抱いていたとはいえないこと、当日のもみ合いの中で太郎が一升瓶の破片で被告人Bを攻撃してきたことに対して、籐椅子でたたいて攻撃をやめさせようとしたが効果がなかったことから、とっさに包丁での反撃を思いついたにすぎないこと、その時には太郎の攻撃をやめさせることで精一杯であり、また、太郎が破片で攻撃するという思わぬ事態に進展したためパニック状態に陥っていたのであって、太郎を殺害しようと思うほどの精神的余裕はなかったことなどを理由として、被告人Bが「包丁で刺せ」と言い被告人Aがこれに応じて包丁で太郎を刺した時点では、被告人らに殺意はなかった(被告人Aについては無我夢中で刺してしまった、被告人Bについては太郎の攻撃をやめさせることしか念頭になかった)と主張し、被告人らに殺意が生じたのは、被告人Aが被告人Bに包丁を渡した時点であると主張する。

2  そこで検討するに、前記(犯行に至る経緯)で認定したとおり、被告人らは太郎の精神病については説明を受けておらず、太郎が飲酒した際などに家庭内で暴れたり花子らに対し暴力を振るう姿を幼少のころから見て成長し、最近では太郎の暴力はやんでいたが、被告人らはそれ以前に太郎と離れて生活していたのであり、このような経緯から、被告人らは従来から太郎に対する反発と花子への同情を感じていたものと認めることができる。そして、花子の急死という事態を迎えて、右感情を募らせるとともに、太郎が花子の入院や葬儀の場にかかわらず奇異な行動に出たことから、太郎に対する反発心をますます強めていき、「切れるかもしれん」とか「あいつに殺意あるわ」などと話し合ったものと認められる。被告人らの右言葉をもって、直ちにその時点で太郎に対する殺意があったと認定することはできないものの、本件に至るまでに被告人らが太郎に対し相当程度の憎しみを覚えていたことは否定できない。

そして、実際に被告人Bと太郎が口論となり、被告人Aも加わってもみ合いとなり、太郎が被告人Bを一升瓶の破片で突いて負傷させ、被告人Aが籐椅子で殴打した後も、右破片による攻撃をやめようとしなかったことから、興奮すると共に太郎に対する憎しみの感情が高まり、太郎に対し、強力な攻撃を加えることに意思を通じ、床にうつ伏せとなって押さえ込まれ上半身の身動きができない太郎を包丁で刺せと被告人Bが指示し、被告人Aは、刃体の長さ約一八センチメートルの鋭利な洋包丁を持ち出して、太郎の身体の中心部である腹の辺りを何度も突き刺しているが、その際、被告人Bは、太郎を押さえつけた右体勢のまま、被告人Aが包丁により太郎を十数回も突き刺していることを認識しながら、何ら制止することなく、その直後に被告人B自身も被告人Aから包丁を受け取って太郎の首を突き刺しているのである。

以上のように、被告人Aが包丁による刺突行為に出た経緯及び動機、包丁の形状と用法、刺突の回数、太郎の負傷の部位などからすると、被告人Aに殺意があったことは十分認定することができる。なお、同被告人が精神的疲労や興奮の余り冷静な精神状態でなく、その結果、刺突回数など細部について記憶していないことは認められるが、太郎の脇腹など身体の中心部分を包丁で繰り返し突き刺すという自己の行為を認識できなかったとは到底考えられない。そして、被告人Bにおいても、自己の指示によって、被告人Aが身動き困難な太郎の身体を鋭利な包丁で刺すことを認識したものというべきであるから、その時点で、被告人両名には包丁で刺すことによって太郎が死亡するかもしれないとの認識があり、また、その旨の共謀が成立したものと認められる。

なお、被告人Bの弁護人は、同被告人の自首調書には、太郎を殺そうと思ったのは被告人Aから包丁を受け取った時点である旨の供述があると指摘するが、殺してやろうと思って包丁を受け取った旨の記載があるからといって、それ以前の被告人Aに指示した時点で未必的殺意がなかったことをうかがわせる供述であるとみることはできない。

二  過剰防衛の主張について

1  弁護人らは、本件の被告人らの行為は、太郎が一升瓶の破片を被告人Bの膝に押しつけるようにして攻撃し続けたことに対し、椅子で殴打するという反撃では効果がなかったことから包丁を持ち出したのであって、同被告人の身体を守るためにした行為であり、太郎を殺害するに至ったことは防衛行為の相当性を欠くので過剰防衛が成立すると主張する。

これに対し、検察官は、被告人らと太郎がもみ合いとなったのは、口論の最中で被告人Bが太郎に対し殴りかかったことがきっかけであって、被告人Bの挑発がけんか闘争を生じさせていること、太郎が被告人Bを攻撃するのに使用した一升瓶の破片は人を殺傷する能力に乏しく、被告人らもこれで殺害されるとまでは思っていなかった上、太郎は被告人Bに押さえつけられ自由に身動きできない状態で被告人Bに向かって右破片を突き出したり押し当てたりしたにすぎないから、同被告人に対する生命身体への危険は小さく、太郎の攻撃が質的に重大化したとみることはできない、また、被告人らが体力的にも勝っているにもかかわらず、右破片を奪い取るなどの行為に出ず、そのまま包丁による殺害行為に及んでいること、被告人Bが被告人Aから包丁を受け取って太郎の首を突き刺して「とどめ」をさしていることなどから、防衛行為の必要性を明らかに欠き、防衛のための行為とはいえないと主張する。

2  そこで、被告人らの本件行為について過剰防衛が成立するかを検討する。

(一) 被告人Aによる刺突行為について

(1) 侵害の急迫性の有無について

前記認定したとおり、被告人Bと太郎がもみ合いとなり、被告人Aが太郎を押さえようとするうち、太郎は、醤油入りの一升瓶を割って、その破片で被告人Bを攻撃してきたものである。右破片(平成一〇年押第一一号の2)は、一升瓶の注ぎ口部分である全長約一一・四センチメートルのガラス片であって、その形状は先端がかなり鋭利である。そして、太郎は、前記認定したとおり、右破片を右手に持ち、立っている間は肩越しに後方へ被告人Bの顔面辺りをめがけて突き出し、床に倒れてからも同被告人の左膝付近に強く押しつけている。このような太郎の攻撃によって、被告人Bは、顔をそむけるなどしたものの、右目外側、右耳後ろ側や後頭部うなじ部分に右破片が当たって切創を負い、また、左膝内側にも切創を負っている。右各切創は、いずれもさほど大きなものではなく全治一週間程度の負傷にとどまっているが(医師野尻功の供述調書)、これらの傷からは、被告人Bが太郎から実際に鋭利なガラス瓶の破片を目の前に突き出され、顔面等に強く押しつけられた状況が明らかである。

そうすると、太郎は、それまでの素手によるお互いのつかみ合いから、人を傷つける攻撃力の大きな一升瓶の破片による攻撃を開始したのであるから、これにより太郎の攻撃は質的に大きく変化したものであって、被告人Bの身体に対する急迫不正の侵害があったというべきである。

そして、被告人Aが被告人Bの求めに応じて籐椅子で太郎を殴打した後も、太郎が右破片を被告人Bの左膝付近に強く押しつけていたことは前記認定したとおりであって、更に反撃等をしなければ太郎が右破片で攻撃を続けてくることが予想されたと認められる。そうすると、被告人Aが包丁を取り出して本件行為に及んだ時点においても、右急迫不正の侵害が継続していたというべきであり、被告人両名がその場から逃げ出したり右破片を奪い取ることは可能であったとしても、急迫侵害が否定されるものではない。

なお、検察官は、本件はけんか闘争であり、被告人Bが先に太郎に殴りかかって挑発したのであって、被告人らの行為を防衛行為とみることはできない旨を主張する。被告人Bが先に太郎に殴りかかり、その後二人がもみ合いとなったことは前記認定したとおりであるが、被告人Bが殴りかかった段階においては、いわば口論の勢いが余って手を出したといえる程度のものであって、その後、太郎が一升瓶を割りその破片を凶器として攻撃してくることは予想できなかったものであるから、被告人Bの右行為をもって、太郎の右のような侵害行為を挑発したものということはできない。

(2) 防衛の意思について

被告人Aは、太郎が一升瓶の破片を持っているのを目撃しており、被告人Bが「椅子で打て」とか「台所に包丁があるから刺せ」と叫んだのを聞いて、同被告人が右破片で刺されるので助けを求めていると理解し、その求めに応じて籐椅子で太郎を殴打し、これによっても太郎の攻撃が止まらないことから、包丁で太郎の腹部などを突き刺したのであって、右各行為は被告人Bの身体を防衛するためされたものであると認めることができる。

もっとも、先にみたように、被告人らは本件当時太郎に対する憎しみを持っており、一升瓶の破片による攻撃をやめようとしない太郎に対する攻撃意思も強いものがあったのであるが、太郎の右破片による侵害を認識しつつ、被告人Bの求めに応じて、右攻撃から被告人Bの身体を防衛するために太郎を攻撃したことは否定できない以上、なお防衛の意思でされた行為であると認めるのが相当である。

(3) 防衛行為の相当性について

前記認定したとおり、太郎が攻撃するのに用いた右破片は、先端のとがったガラス片であるが、被告人Aが反撃に用いたのは、刃体の長さ約一八センチメートルの鋭利なステンレス洋包丁で、殺傷能力が格段に高いものである。また、被告人らが二対一で反撃行為を行い、特に被告人Bが太郎の上半身を押さえつけていたこと、被告人Aが太郎の腰や腹の辺りを包丁で十数回も突き刺し、太郎がほぼ動かなくなるまで続けられたことからすると、右刺突行為は、太郎による侵害に対する防衛の程度を明らかに超えたものである。

(二) 被告人Bによる刺突行為について

前掲各証拠によれば、被告人Aが太郎を十数回突き刺し、被告人Bは、もがいていた太郎の力が弱くなってきたことを感じ、被告人Aに対し「もういいわ」と言いながら、太郎の首辺りに巻き付けていた左腕を放して立ち上がり、被告人Aが、被告人Bに「お前も刺すか」と言って右包丁を渡したところ、同被告人が「俺も刺す」と言って包丁を受け取り、太郎のそばにしゃがみ込んで、太郎が着ていた服の襟首をまくって包丁で突き刺した事実が認められる。

被告人Bの右行為時においては、太郎による被告人らの身体に対する侵害の危険性はほぼ消失していたと認められ、右行為を独立して取り上げるならば、防衛行為と評価することができないものといわざるを得ない。

しかしながら、被告人Bの右行為は、それに先立ち、同被告人の身体を守るためされた被告人Aの刺突行為の直後に連続して行われたものであり、包丁による刺突という点では同態様であるほか、被告人Aによる刺突行為は十数回に及んでいるのに対して、被告人Bによる刺突行為は一回のみである。また、太郎の死因は左側胸部、左側腹部、右背面及び左側頚部の各刺創に基づく失血死であり、死亡の結果を惹起するのに大きく作用した刺創がどれであるかを特定することが困難であって、被告人Bの刺突行為がより重大ということはできない。これらを併せ考えると、被告人Bの右行為は、それ以前の、同被告人と意思を相通じてされた被告人Aの防衛行為に引き続き、同じ興奮状態の下で余勢に駆られた一連の行為とみるべきであって、このような場合には、行為全体を一個の殺人行為とみた上で過剰防衛の成立を認めるのが相当である。

3  以上検討したとおり、被告人らの本件行為については、全体として過剰防衛が成立するものと認めることができる。

三  心神耗弱の主張について

1  被告人Aの弁護人は、同被告人が母親である花子の死亡による精神的ショックに加えて、その通夜や葬儀における太郎の異常な言動に悩まされて憔悴していた上、本件当時、太郎と被告人Bの争いによって恐怖、驚愕など精神的動揺の状態にあり、パニック状態に陥って通常考えられない行動に出たものであり、意識もうろう状態にあったため当時の記憶が不十分となっているのであって、心神耗弱と評価すべきであると主張する。

2  そこで検討するに、被告人Aは、本件当時、太郎が一升瓶の破片で被告人Bを攻撃していることを認識しつつ、同被告人の求めに応じて籐椅子や包丁で太郎に反撃しており、また、本件に至る経緯や本件の直前に風呂の窓を閉めに行ったこと、本件犯行後の言動などについては明確に記憶している。そうすると、被告人Aに、本件当時、意識障害がなかったことが明らかである。

なお、弁護人の主張するように、特に公判廷における供述においては、同被告人の本件犯行についての記憶にやや不明確な部分があることは認められるが、概略的な言動については、一貫して前記各認定した事実にほぼ沿う記憶を有しており、犯行直後に作成された自首調書においても「父の右か左の脇腹のあたりを一〇回くらい、力を入れて刺しました。」と記載されているところである。本件が緊急時における興奮状態の中での行動であることを考慮すると、攻撃回数など細部にわたる記憶の混乱や欠落があっても不自然とはいえない。また、簡易精神鑑定の結果、被告人Aには、本件当時、意識障害や精神障害はなく、了解不可能な行動もなく、是非善悪を弁別してそれに従って行動する能力が保たれていた旨、なお、頭部CT画像や脳波の検査、面接を行った結果、異常所見がなかった旨が報告されている。

3  そうすると、同被告人は、本件当時、母親である花子の死や、太郎の常軌を逸した言動により精神的に不安定となり、また、被告人Bと太郎の取っ組み合いのけんかなど予想外の事態に直面したこともあって、十分に冷静な判断ができなかった面はみられるものの、いまだ責任能力が減退していたとまではいえない。

四  被告人Aの捜査段階における供述の信用性について

1  被告人Aの弁護人は、同被告人の捜査段階における供述調書は、母親である花子の突然の死亡や自らの行為により父親である太郎を死に至らしめたことによる精神的ショックに加え、本件についての自責の念などからくる異常な心理状態のもとで取調べを受けていたのであり、主体的に取調べに対応することが不可能であって、捜査官の誘導に陥りやすい状況で作成されたものであって信用性がなく、公判廷における供述が真実であると主張するので検討する。

2  被告人Aは、捜査段階においてはほぼ前記各認定した内容に沿う供述をしているものの、公判廷においては殺意など主観面についてあいまいな供述が目立っている。

しかし、前記のとおり、同被告人は、本件当時、精神的に若干不安定な状態にあったとはいえるものの、正常に行動し判断することができたと認められる上、捜査段階での同被告人の供述は、前記のような自首調書から出発しているばかりか、行動の概略においては公判廷での供述と大きな差がなく、内容において不自然不合理というべき部分はないし、同被告人の取調べに当たった警察官の証人尋問によっても、取調べの際に無理な誘導があったことをうかがわせる事情は認められない。こうしたことからすると、同被告人の捜査段階における供述について、その信用性を肯定することができる。

(法令の適用)

被告人両名の判示所為は、刑法六〇条、一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人両名をそれぞれ懲役五年に処し、同法二一条を適用して被告人両名に対し未決勾留日数中三六〇日をそれぞれその刑に算入し、押収してあるステンレス洋包丁一丁(平成一〇年押第一一号の1)は、判示殺人の用に供したもので被告人ら以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用して没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人両名にいずれも負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件は、被告人ら兄弟が、父親と話し合ううち、口論の末、もみ合いとなり、父親が一升瓶の破片で攻撃してきたことから籐椅子で殴打したが、その攻撃がやまなかったことから、包丁を持ち出して腹部等及び頸部を刺して殺害した事案である。

二  本件犯行態様をみると、被告人Bが太郎の上半身を押さえ込んだ状態で、被告人Aが殺傷力の強い包丁により、腰の辺りを中心に、もがく同人の胸や腹部、背面などを十数回突き刺し、いわばめった刺しにした上で、更に被告人Bが襟首をむき出しにして頚部を突き刺したというものであって、わずかしか反抗できない太郎を二人がかりで多数回突き刺している点において、極めて残忍であり、凄惨なものである。

また、被告人Bが太郎とつかみ合いになった直接のきっかけは、口論の最中に被告人Bが太郎に殴りかかったことであり、この点が挑発といえないことは前記のとおりであるが、被告人Bに本件を招いた責任の一端があるといえる。

被告人らの本件行為により太郎はほぼ即死しているが、息子二人によって殺害された被害者の無念さは察するに余りあり、貴重な生命を奪った犯行結果は重大である。

以上のような本件の態様、結果からすると、被告人らの刑事責任は重い。

三  他方、本件は、被告人らが太郎に今後の生活について諭している際に口論となったことがきっかけで発生したけんかの延長線上にあり、太郎への反発があったとしても、本件自体は偶発的な犯行である上、太郎が一升瓶の破片で被告人Bを攻撃してきたことに対して、同被告人の身体を防衛する目的があり、過剰防衛に当たることは前記認定のとおりである。

そして、被告人らは、太郎が精神病であったことやその病状を十分知らされておらず、太郎の従前からの粗暴な行動や花子の死後における奇異な言動に当惑し、花子の急死による精神的動揺と相まって太郎への反感を強めていったことも無理からぬ事情があり、動機においてこのような背景事情があるため、親族らも被告人らに多分に同情的であり、近隣住民など多数の者も被告人らに対して寛大な処分を望んでいることがうかがわれる。

また、被告人らは、本件犯行後、警察に通報して自首しているほか、父親を殺害する結果となったことを深く反省している。さらに、被告人らは、いずれも従来定職につきまじめに就労しており、その生活ぶりには何ら問題はなく、被告人Aについては、早い社会復帰を願う家族がいる。

これらの事情は、被告人らにとり有利な事情として考慮すべきである。

四  よって、以上のような事情を総合考慮して、主文のとおり量刑した。

(裁判長裁判官 米山正明 裁判官 本つとむ 裁判官 井川真志)

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